人生、難あり

若俳推し活備忘録

推しの演じたキャラクターの話・その2.5

つい先日のことですが、私にとっては思い入れの深い、1年振りに“A”を演じる推しの舞台の最終章が、とうとう幕開けを迎えました。

このエントリーではAについての話の他に、1年に及ぶ推し活についての回顧もかなり含まれるかと思います(推しが演じた“A”については、前エントリーをご参照ください)何卒ご理解ご了承のほど、宜しくお願い申し上げます。

 

前からちょこちょこ触れてはいますが、私が推しを1年近く応援してきた理由には『推しが再びAを演じる姿をも1度、この目で観たい』というのがひとつ、そして更には『Aを演じてもらえたことに並々ならぬ感謝をしている、クソなオタクがここにいるのを伝えたい』気持ちからくるもうひとつの、これらふたつが挙げられます。

キャリアの浅い駆け出しの推しが、初めて貰った大きな役。しかもキャス変という前置き込みの、役者としては大先輩にあたる方から引き継いだ役。当然ながら当時は相当大騒ぎでしたし、表立っては言われなくともこのキャスティングに多少なりとも不平不満と物足りなさを抱いてる方がいるだろうことは、私も勿論、察していました。

一生懸命頑張っている。必死に役と向き合っている。だけども実際舞台を観ると、Aだけが少し浮いている。歌は確かに上手いけれども、Aを《演らせてもらっている》という、遠慮が演技に表れている。だけども推しはこの作品とそれからAを、とても大事に思ってくれてる。その情熱はよくわかる。でも手放しに『推しくんのAは最高です!』と褒め称えることがなかなか出来ない。Aを演じてくれたことへの感謝の気持ちはめちゃくちゃあるのに、ではまた次も推しの演じるAを観たいか?となると一瞬答えに窮してしまう。……今では立派(?)に“クソオタク”として推し活に励むわたくしですが、当時は正直複雑でした。

不満は勿論ある訳無い。だけども満足し切れてはいない。なにせ元々《2次元》産のオタクです。舞台を観に行く目的がまず、ジャンルに対する応援の為です。待てど暮らせどゲームもアニメもオワコン扱いされたまんまのジャンルで唯一、舞台化というコンテンツだけが生き残っている状態です。が、待ちに望んだ新作舞台でキャス変という報せを受けて「じゃあもういいや」と離れてしまったクラスタを見て「折角舞台化決まったってのに、観に行く前からそれはねーだろ!」とTLでプンスコするも、実際自分も「舞台化ホントにありがとう!続いてくれてありがとう!次もめちゃくちゃ楽しみにしてる!」と言うものの、その傍らで『推しくんがAを演じてくれてホントに良かった……』と“思おうとしている”フシが多少はありました。これは前にも述懐していることですが、舞台化にあたって全身全霊を傾けてくれたキャストの方には心底感謝をしていても、またこの舞台に出て欲しい!とまでは思う気持ちが無かったからです。ウイッグを外し、衣装を脱いで、メイクを落とした《中の人》には、ビタいち興味が持てなかったのもありますけれど。

 

 ただ、推しだけは少し。ほんの少しだけ別でした。

前エントリー(※未知との遭遇・前編/後編)でも既に長々語っているので省略しますが、あの時推しと僅かに交わした会話を境に、私の中では推しに対して『この作品でAを演じたことについてを、これからの自信に繋げて欲しい』『あのカンパニーで得た経験を、役者としての糧へと昇華して欲しい』という、ジャンル活性の熱望を含めた、推しをとことん“推したい理由”というのがうっかり出来てしまったのです。正直言うとこの時までは、推しの人にもビタいちどころか全く興味はありませんでした。むしろ見た目とツイートのノリは、苦手な部類に属してました。それがコロっと手のひらクルーを華麗にキメてしまった訳です。人見知り過ぎて塩対応がデフォルトであると聞いていた推しが、私が告げたあのひとことに対してだけはめんたま開いて「はい!」と言い、愛想笑いを浮かべることなく真っ直ぐこちらの目を見てくれていたあの瞬間、私がこの先推し活に励む目標もまた、うっかりあっさり決まったのです。

 

そうだ、私はクソオタクになろう!

いつになるかはわからないけれど、推しが再び《A》を演じる日が来ることを願って、ひたすら推しを応援しまくる、クソなオタクの鑑になろう!!!!!(※未達成)

 

そして季節は秋から冬へと移り行き、ここからはもう、死にものぐるいでとにかく推しを追いかけまくる、怒涛の推し活・オブ・ザ・イヤーの幕開けでした。毎月のように舞台を観に行き、リリイベに赴き、ライブに向かい、推しに直接『必ず再びまたAとして、舞台の上に立ち上がって欲しい』というただひとことを伝えたいというその為だけに、円盤を積み、チェキ列に並び、ハイタ会付きの即売会にも進んで参加し、どうしても行けない現場があれば『一生懸命頑張っている推しの姿を、自分の代わりに見届けて欲しい!』と友達を誘ってチケットを贈り……と、付き合いの永い親友からは『ここまでお前が沼ズブするとは思わなかったわ』と呆れ笑いをされるほど、まるで何かに取り憑かれでもしたかのように、とにかく推しを追っていました。

とはいえ仕事の都合上、全ての現場を網羅するのはさすがに少々無理でした。が、おまいつとまではいかないけれど、推しは私を『割とよく見るいつもの人』で『とにかくAが大好きな人』だということだけは覚えたようで、舞台関係の特典会では共演者様にそのことをやたらとアピールしたり、アイフォンケースにぶら下げているAのラバストとアクキーを見て「A、やっぱイイっすよね!」とはしゃいだり、作品に登場しているキャラが誕生日を迎えたその当日にあったイベでは「そういえば今日、◯◯さんの誕生日ですよね!ここで一緒にお祝いしましょう!」と、いきなり拍手をしだしたりして『Aごと自分を一生懸命推している人』がせっせと舞台を観にやってくることに対して、なんとなく少し、ぼんやりながらも応えてくれつつありました。

多分その頃あたりでしょうか。待ちに望んだ新作舞台の公演告知が漸く入ったその直後、珍しく推しが『これからLive配信します!舞台についての話をするので、質問があったらリプください!』と言い出したので、早速リプで「2.5次元舞台のキャラを演じることについての話を是非聞きたい」と伝え、最後にちょろっと「推しさんが演じたA役が、自分の中では1番印象深いです」と付け足しました。そこの部分はスルーされても大丈夫なことを前提としていたのですけど、推しは律儀に全文きっちり読み上げたうえ「A〜〜!!(やたら嬉しそう)A来ましたよA〜〜!!(めっちゃ嬉しそう)……あのですね、僕もうホントにA好きなんで!Aの話をさせてもらえるの、めっちゃ嬉しいです!」と前置きをして、Aを演じた当時のことを、あれこれ話してくれました。

ゲームはひとまずクリアしたこと。アニメも全話視聴したこと。Aの口調をマスターするのに実は相当苦労したこと。自分の持ち歌は勿論だけど、ライバルキャラのとある持ち歌が大好きなので、何度も何度も聴いていること。キャラ設定では相方にあたる共演者様と、座長の自宅にお邪魔したこと。Aのグッズは手の届く場所に飾ってあるので、すぐにでも取ってこれること(実際推しは配信中、舞台のグッズやぬいぐるみなどを持ち出して、ひとりでキャッキャとはしゃいでいました。あざといです)観客席を一色に染めるペンライトの海が、とにかく綺麗で感動したこと。それからAを演じたことが、役者としてのターニングポイントになったこと。自分の演じたAという役を、決して誰にも渡したくないと思っていること。推しはニコニコ笑いながらも、しかし時々ハッとするほど真面目な顔で、Aを演じたその時のことを、一生懸命語っていました。

この配信を視聴して、推しは私が思う以上にAに対する執着心が強いこと。それから推しが生半可じゃない覚悟の上で、Aに臨んでいるということ。それらをひしひし感じ入りました。以前はとにかく“自分のAが原作ファンに受け入れられるか”どうかを気にしていたような感がありましたけれど、A役としての続投が決まり、そして恐らく次の舞台が《Aとして生きる最後の舞台》になるというのをわかっていたかと思われるので、自分がAを演じることへの周りの反応を気にするよりも、自分がいかに責任を持ってAを演じていこうとしてるか。自分がどれだけAを大事に思っているのか。それをしっかり舞台の上から伝えていくのに全身全霊傾けてゆこうと考えているのが、推しの言葉や表情などから、受け取ることが出来ました。

これは勿論“クソなオタク”の推察ですから、ホントのところはどうなのか、推しから直接聞かない限りはわかりません。推してる欲目の主観もあるのは一切否定しませんが、1年かけて推してる割には全然ちっともわかっちゃいねーな!と言われることのないように、ことごとく全てが見当違いでないことだけを祈ります。

 

そして気付けば1年が経ち、1年振りに《A》の姿で舞台の上に立ち上がる推しを、遂にこの目で再び観られるその日が来てしまいました。

この日を迎えるまでの間は、とにかく情緒が不安定でした。多分号泣するだろう。マトモに舞台を観られないだろう。しかし実際観に行ってみると、号泣どころか少しも涙は出ませんでした。カテコで推しがめんたまうるうるさせているのに一瞬つられてしまった以外、驚くほどに私は終始冷静でした。

決して舞台がつまらなかった訳では勿論ありません。多分今まで観た中で、1番アツいステージでした。全てがとにかく最高過ぎて頭の中は真っ白でしたし、茫然自失で会場の周りをフラフラ彷徨い歩いてましたし、帰りの便では気絶レベルで爆睡したので、この日の記憶は舞台を観た他、ほぼほぼ消失しています。ただはっきりと覚えているのは、1年振りに《A》の衣装を着て現れた推しを見て、一瞬ゾッとしたことでした。推しが雑誌のインタビューにて『原作ファンの皆様にも喜んでいただけるようなAを、お見せ出来ると思っています』と答えていたのは、ハッタリなんかじゃなかったんだと。Aとして生き抜く絶対的な自信が推しの中にはあったからこそ、ああまではっきり言い切れたんだと。

正直な気持ちを告解すると、それが私は恐ろしかったです。

おかしなことを言うようですが、推し可愛い!とか推しカッコイイ!とか、そういう言葉で片付けられるレベルの話じゃありませんでした。1年かけて推しの舞台をそこそこの回数観て来ましたが、誰であっても時々一瞬、芝居の合間に見え隠れする“素”の部分が、今回全く見えませんでした。そういえば前述のインタビューでも『衣装を着て演技をしていると、Aが憑依しているように感じる』と推しは答えておりましたが、まさにその通り、推しにはAが憑いていました。私が今まで観たことのない、新たな推しの一面でした。

 

そんなこんなでAを演じる推しの姿を観られる時間も、遂にいよいよ残り僅かとなりました。きっと私は最後を迎えるその時が来て、もうこれ以降、2度とは推しの《A》をこの目で観ることがないのをわかってはいても、周りの皆がラストを惜しんで号泣しているだろうとしても、多分めんたまカラッカラにして、キンブレ握って突っ立ってると思います。決して泣けない訳ではなくて、人前で泣くのがカッコ悪いと思っているからというのでもなくて、ホントはめちゃくちゃ泣いて喚いて大暴れして「終わるのヤダーーー!!」と叫びたいのがあるんですけど、私が推しを今日この日まで、一生懸命推して来た意味にきちんと区切りをつけたい為に、あえて泣かずにいようと思う次第なのです。

 

ネタバレ(?)になるので今は多くを語れませんが、ステージの上でAを演じる推しの一挙手一投足には、この1年で《役者》の推しが舞台を通じて得たもの全てが活かされています。今作舞台のソロパート(?)では、歌唱の他にダンスや殺陣を披露する場が出てくるのですが、初日が終わったその直後、TLは『推しくんあんなに踊れるんだ!?』『推しくん、歌がめちゃくちゃ上手くなってるよ!』と、その成長っぷりに驚くツイで埋まっていました。

ダンスはめちゃくちゃ上手くなりました。北風の吹くクソ寒い中で、簡素な舞台の上で必死に踊っていたのを観ていたあの日のあの時よりも、 ユーロビートの曲に合わせて一生懸命ハンズアップで手拍子をしていた、あのえげつない舞台に通ったあの時よりも、春だというのにやたら肌寒い会場に行って《アイドル》している姿を観に行った時よりも、めちゃくちゃ上手くなりました。

殺陣の演技も最高でした。思えば初めてA役ではない推しを観たのは、戦国武将の役でした。その後推しに声がけをした時、殺陣のモーションがカッコ良かった、と言おうと思っていたというのに、推しに向かってうっかり「A!」と言ってしまったあの時の私は、空気の読めないクソオタクでした。

ライブパートが最高なのは、秋の舞台でBを演じた賜物であると思います。観に行く度にどんどんどんどんレベルが上がっていくことに、そして周りに「推しくんのBが最高すぎて、ライブパートで毎回泣いてしまいます」と、アフターの席でめちゃくちゃ褒めてもらえることに、私は密かに心の中で、狂喜乱舞をしてました。そして推しから初めて色々、有難い言葉をこの時かけてもらえたことに、暫く我を忘れてました。

 

もしも私のブログを読んで「この人の推し、多分誰だかわかっちゃったかも」と思った方がいましたら、そしてこのあと控える《最後の舞台》を観に行く方がいましたら、このステージに全力を注ぎ、全身全霊でAとして生きる、推しの気迫に是非とも注目してみてください。そしていつしか再び舞台で《A》としてまた立ち上がってくれるその時が来たら、更に成長しまくっているAの姿を観られることと思いますので、めちゃくちゃ期待をしていてください。でもってどうか、推しがめちゃくちゃAを大事に思ってここまで頑張ってきたそのことを、少しでもいいので記憶の中に留めてください。

 

私の推しは、最高の推しです。

1年かけて推してきたのを心の底から誇りに思える、そんな役者である推しです。

 

1年ホントにありがとう、推し

Aとして生きるあなたをずっと応援出来て、あなたにAを演じてもらえて、私は心底幸せでした。

またいつか、Aとして再び舞台の上に立ち上がるその日が来るのを、いつまでもずっと楽しみにして、待ってます。